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<title>岡山の山、うまいもん、吉備邪馬台国説を追って</title>
<link>http://j-art.podzone.net/~chikaserver/chikablog/index.php</link>
<pubDate>Tue, 08 Jul 2008 20:16:59 </pubDate>
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岡山の山、うまいもん、吉備邪馬台国説を追って - RSS 2.0 (Really Simple Syndication).
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<item>
<title>安倍晴明　吉備に現る</title>
<link>http://j-art.podzone.net/~chikaserver/chikablog/article.php?id=90</link>
<pubDate>Tue, 08 Jul 2008 20:16:59 +0900</pubDate>
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安倍晴明 天文台　08 July 8

いわずとしれた、平安時代最高の超能力者？である安倍晴明は陰陽師として天文を担当したが、この鴨方町に彼が天体観測のために使ったといわれる屋敷跡がある。これまで「安倍晴明ゆかりの地」という看板はたびたび...</description>
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<![CDATA[<p>
<em>安倍晴明 天文台　08 July 8</em>
</p>
<p>いわずとしれた、平安時代最高の超能力者？である安倍晴明は陰陽師として天文を担当したが、この鴨方町に彼が天体観測のために使ったといわれる屋敷跡がある。これまで「安倍晴明ゆかりの地」という看板はたびたび見かけてきており、ついに本日たずねることとなった。<img src="http://j-art.podzone.net/~chikaserver/chikablog/resources/07-08-seimei_web.jpg" width="233" height="150" alt="安倍晴明屋敷跡" id="f2"/>
</p>
<p>矢掛町と鴨方の境にある竹林寺山の一角には国立天文台岡山天体物理観測所がある、かの有名な竹林寺天文台である、その西どなりの安部山の山中にこの平安の天体観測所跡があるというのはどういうことなのか？鴨方からも矢掛からも細い山道がありすぐそばまで登れる、道の脇に駐車してしばらく歩くとこの安倍晴明屋敷跡こと晴明神社はあった。しかし、関西出身の安倍晴明と吉備がどう関係するのかわからない、がっ　調べてみるとなかなか深い関係にあることがわかってきた。</p>
<p>安倍晴明の師匠　賀茂 保憲（かも　の やすのり、917年 - 977年）は、陰陽頭。その父、賀茂忠行は陰陽道の宗家、それも吉備真備の血筋であるというのだ。つまり、この「鬼道」の宗家は吉備の加茂家ということである。まず、この地が「鴨方」であり、造山古墳の在る場所が「加茂」、吉備津神社の元社の可能性のある新庄の「御鴨神社」というぐあいに「吉備と加茂」の関係は深い。さてまた新たに迷路があらわれた感じである。</p>
<p>
<a href="http://j-art.podzone.net/~chikaserver/chikablog/var/map_1/index.php">
</p>
<p>安倍晴明 天文台Mapへ</p>
]]>
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</item><item>
<title>出雲遺跡群へ　その二</title>
<link>http://j-art.podzone.net/~chikaserver/chikablog/article.php?id=89</link>
<pubDate>Mon, 30 Jun 2008 07:11:30 +0900</pubDate>
<description>
西谷墳墓群 08 May




出雲市街南東部の標高40m程度の丘陵に存在する。弥生時代後期から古墳時代前期にかけての2世紀末から3世紀に築造されたと考えられている。1953年（昭和28年）に発見され、現在は27号までと番外5号までの3...</description>
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<![CDATA[<p>
<em>西谷墳墓群 08 May</em>
<img src="http://j-art.podzone.net/~chikaserver/chikablog/resources/yosumi_1.jpg" width="240" height="180
" alt="西谷墳墓群"id="f1" />
<BLOCKQUOTE cite="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E8%B0%B7%E5%A2%B3%E5%A2%93%E7%BE%A4">
</p>
<p>
出雲市街南東部の標高40m程度の丘陵に存在する。弥生時代後期から古墳時代前期にかけての2世紀末から3世紀に築造されたと考えられている。1953年（昭和28年）に発見され、現在は27号までと番外5号までの32基の墳墓、古墳と横穴墓が確認されている。このうち、１〜4・6・9号の6基が四隅突出型墳丘墓である。四隅突出型墳丘墓は出雲地方を中心とした特徴的な形をした弥生時代の墳丘墓で、この西谷墳墓群や安来市の荒島墳墓群に巨大なものが見られる。
</p>
<p>出典: フリー百科事典『ウィキペディア（Wikipedia）』</p>
<p>
</BLOCKQUOTE>
<img src="http://j-art.podzone.net/~chikaserver/chikablog/resources/yosumi_2.jpg" width="150" height="200" alt="四隅突出型墳丘墓"id="f2" />
</p>
<p>荒神谷遺跡から出雲市に向かって車をすすめると、なかなかわかり難いところにこの遺跡公園はある。出雲市駅の比較的近くなのだが、街中ではなく目印といえば出雲商業のグランドに隣接しているということだろうか。駐車場から公園内を周回する遊歩道が整備されており、さっそくその特徴である台形の墳墓が現れる。これがあの有名な四隅突出型墳丘墓だ。方形墳丘墓の四隅がヒトデのように飛び出した特異な形の大型墳丘墓で、その突出部に葺石や小石を施すという墳墓形態である。</p>
<p>三号墓といわれるものから、各地との交流をしめす土器が出土しているが、それは北陸の土器と吉備の特殊器台である。時代も楯築と同時代と考えられるが、吉備、出雲、北陸が交流していたという表現にとどまらず、強い繋がりをもった関係になったと考えるがどうだろう。これがこの時代の社会変動の特徴をあらわすものだろうし、後年、箸墓においても同様のことがおきたのだろう。とくに「古事記に語られる出雲の国譲り」のエピソードが奈良大和と出雲の間におきた出来事と考えるとわからなくなるが、吉備大和（邪馬台国）と出雲の間の出来事と考えれば、ぴったり符合するのではないだろうか？</p>
<p class="clearfloat"style="font-size:8pt;text-align:right">四隅突出部から墳頂に登る</p>
<p>
<a href="http://j-art.podzone.net/~chikaserver/chikablog/var/map_1/index.php">
</p>
<p>西谷墳墓群(一の谷公園）Map</p>
<p>
<img src="http://j-art.podzone.net/~chikaserver/chikablog/resources/nishitani.png" width="250" height="250" alt="西谷墳墓群Map" />
</a>
</p>
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</item><item>
<title>出雲遺跡群へ　その一</title>
<link>http://j-art.podzone.net/~chikaserver/chikablog/article.php?id=88</link>
<pubDate>Sat, 28 Jun 2008 04:55:11 +0900</pubDate>
<description>
加茂岩倉遺跡＆荒神谷遺跡 08 May

ひさしぶりの休日、代表的な出雲遺跡群へでかけてみた。まずは島根県雲南市にある加茂岩倉遺跡、大量の銅鐸が道路工事の土中から発見された超有名なところだが、さすがにもう人が行列をつくることはない。この地...</description>
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<![CDATA[<p>
<em>加茂岩倉遺跡＆荒神谷遺跡 08 May</em>
</p>
<p>ひさしぶりの休日、代表的な出雲遺跡群へでかけてみた。まずは島根県雲南市にある<a href="http://www.izm.ed.jp/cms/cms.php?mode=v&id=144">加茂岩倉遺跡</a>、大量の銅鐸が道路工事の土中から発見された超有名なところだが、さすがにもう人が行列をつくることはない。この地名に注目すると、「加茂」の「岩倉」でとなりが「神原」で、どれをとっても意味深なものばかりだ。これだけでもここになにかありそうなものである。ここに山を横切って道を造ろうとして削っていたら偶然でてきたというのだから、もっとなにかうまっているにちがいない。</p>
<p>
<img src="http://j-art.podzone.net/~chikaserver/chikablog/resources/koujin_2.jpg" width="150" height="200" alt="荒神谷遺跡"id="f1" />
<img src="http://j-art.podzone.net/~chikaserver/chikablog/resources/koujin_1.jpg" width="150" height="200" alt="荒神谷博物館"id="f2" />
</p>
<p>このあとは、お決まりのコースであるが荒神谷遺跡にむかった。じつは直線距離ではすごく近い両遺跡であるが、車では10kmくらいかかる。以前きたとき工事中だった「荒神谷博物館」が完成していた、はいってみると、本来定休日であったにもかかわらず、消防訓練？で偶然観客役で入れてもらえた。ラッキー！写真は銅矛のレプリカ（もちろん）でその形と重さを体験できる、かなり重い。中の展示や解説が非常にわかり易くできていて、最近のこうゆう施設はすばらしい。</p>
<p>荒神谷遺跡は358本の銅剣と16本の銅矛、6個の銅鐸が出土したことで有名であるが、その数が圧倒的でほぼ一箇所の山あいの傾斜に埋もれていたわけだ。ここも農道の工事にさきがけた調査で偶然発見された土器片をきっかけに調査された結果だそうだ。</p>
<p>
<a href="http://j-art.podzone.net/~chikaserver/chikablog/var/map_1/index.php">
</p>
<p class="clearfloat">荒神谷遺跡＆加茂岩倉遺跡Map</p>
<p>
<img src="http://j-art.podzone.net/~chikaserver/chikablog/resources/koujin.png" width="300" height="300" alt="荒神谷遺跡" />
</a>
</p>
]]>
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</item><item>
<title>三徳山投入堂</title>
<link>http://j-art.podzone.net/~chikaserver/chikablog/article.php?id=87</link>
<pubDate>Thu, 26 Jun 2008 07:37:35 +0900</pubDate>
<description>
三徳山投入堂　08-May 

鳥取県三朝町の三徳山投入堂は一度はいってみなければと思っていた、奇観である。寺伝によれば、慶雲３年（７０６年）に役行者（えんのぎょうじゃ）が三枚のハスの花びらを散らし、「仏教に縁のある所に落ちるように」と祈...</description>
<content:encoded>
<![CDATA[<p>
<em>三徳山投入堂　08-May </em>
<img src="http://j-art.podzone.net/~chikaserver/chikablog/resources/mitoku_web_01.jpg" width="150" height="200alt="三徳山投入堂登山道" id="f2" />
<p>鳥取県三朝町の三徳山投入堂は一度はいってみなければと思っていた、奇観である。寺伝によれば、慶雲３年（７０６年）に役行者（えんのぎょうじゃ）が三枚のハスの花びらを散らし、「仏教に縁のある所に落ちるように」と祈ったところ、その一枚が三徳山（みとくさん）に落ち開山したと伝えられる修験道場ということだ。三朝町から奥に5kmほど車で登ってゆくと、すでに多くの観光客が行きかって賑わっている。一番奥の駐車場に止めて、さっそく食堂に入りそばで腹ごしらえをして寺に入山した。階段をしばらく登ると本堂に到着、さらに「投入堂」への登山のための入り口がある。靴のチェックと名前を記入していよいよ登山開始だ。</p>
<p>さすがに、今日は祝日のせいか大勢のひとが列をつくっている。われわれのように登山モードの人は少なく、普段着の人がほとんどである。なかには多分、ハイヒールできたに違いない若い女性もいる。じつは入り口で靴が不適切とされると、有料で「わらじ」を履かなければならないのだ。この「わらじ」がどうやらすべりにくいらしい。中途半端な運動靴ではよくすべるようで、慎重さにかける若い人がよく転倒していた。</p>
<img src="http://j-art.podzone.net/~chikaserver/chikablog/resources/mitoku_web_02.jpg" width="200" height="150" alt="三徳山投入堂" id="f1" />
</p>
<p>さすがに修験道場らしくきびしい登りがつづく、手を掛けて登る場所が多いのでお年寄りなどで、あきらめて帰る人もいる。情報として記しておくが、後半の鎖場以外では最初のあたりが一番きびしいので、ここだけのりきれば、あとはいけると思う。が、自信のない人はあきらめなさいという配慮なのかもしれない。</p>
<p>約４０分で目的の「投入堂」に到着する。こんな絶壁にこんなものがというだけで「びっくり」であるが、実は以前、中国へ旅行した際「大同」でほとんど同様の懸空寺という寺が観光地としてあり、そのときはそのお堂の中に入れた経験があった。お参りをすませると下山であるが、もちろん下りの方が危険なのでゆっくりとおりる、登りとほぼ同じ時間で登山口に到着し無事「三徳山」登山は終了した。</p>
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</item><item>
<title>大山を望む　毛無山</title>
<link>http://j-art.podzone.net/~chikaserver/chikablog/article.php?id=86</link>
<pubDate>Tue, 20 May 2008 17:28:23 +0900</pubDate>
<description>
毛無山　08-Apr.29


連休初日、鳥取との県境の毛無山に向かった。もしかすると岡山でもっとも人気のある山かもしれない、登山口が整備されているし、山道もよし景色よし、森もよしということだろう、大勢の登山客と出会う。数にして２００人位...</description>
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<![CDATA[<p>
<em>毛無山　08-Apr.29</em>
<img src="http://j-art.podzone.net/~chikaserver/chikablog/resources/katakuri_r.jpg" width="150" height="150" alt="かたくりの花" id="f2" />
</p>
<p>連休初日、鳥取との県境の毛無山に向かった。もしかすると岡山でもっとも人気のある山かもしれない、登山口が整備されているし、山道もよし景色よし、森もよしということだろう、大勢の登山客と出会う。数にして２００人位で多くのカメラおじさんが含まれており片手にカメラを掲げて上り下りしていた。さらに元気なのは奥様軍団で「三平山から縦走してきた」と意気軒昂で、すでに6〜7時間歩いているというから脱帽である。</p>
<p>今日は白馬山から毛無に廻るコースをとった、すると１時間ほどで白馬山頂の広場に到着したが、このあたりに片栗の花が群生していた。保護されているので踏んづけると怒られるので慎重に下をみて歩く。</p>
<p>縦走路からみる右手が大山、左手に田浪の集落を見下ろして景色が広がる。４０分ほどで毛無山頂に到着する。</p>
<p>毛無山は役の小角の開闢による修験道の山とされ、戦前まで女人禁制であったとのこと、「けなしがせん」と読む。「山」を「せん」と読むのは中国地方の特徴であるが、「せん」は呉音であり、長江流域の言葉と考えられる。さらに修験道の祖「役の小角」は実は神官の子なのである、神道と仏教を融合させた形が修験道であるが、それは神の邦である吉備で醸成され熊野に移行していったのではと想像する。つまり「せん」と読むこの地域で修験道もしくはその原点が生まれたのではというのが私の説だ。</p>
<p>
<img src="http://j-art.podzone.net/~chikaserver/chikablog/resources/kenashi_g_r.jpg" width="600" height="123" alt="毛無山から南を望む" />
</p>
<p>山頂からはすこし霞んではいるが大山の全容が見える、そしてまだ雪をかぶっている。下山は１時間５分、この時間に登る人もおらず誰ともすれ違わなかった。駐車場には我々の車だけであった。</p>
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</item><item>
<title>仏ヶ山に再挑戦,蒜山は古代湖だった</title>
<link>http://j-art.podzone.net/~chikaserver/chikablog/article.php?id=85</link>
<pubDate>Wed, 16 Apr 2008 07:22:09 +0900</pubDate>
<description>仏ヶ山に再挑戦、蒜山は古代湖だった　08-Apr.15



仏ヶ山は蒜山高原の中和村と八束村の境にあって、丁度下蒜山の東隣りの山である。先々週の火曜午後にトライしたのだが、そのときは雪が林道に所々に残っており1km手前から徒歩で登山口に向...</description>
<content:encoded>
<![CDATA[<p>仏ヶ山に再挑戦、蒜山は古代湖だった　08-Apr.15</p>
<p>
<img src="http://j-art.podzone.net/~chikaserver/chikablog/resources/hotokegasen_g_r.jpg" width="365" height="150" alt="仏ヶ山から鳥取を望む" id="f1"/>
</p>
<p>仏ヶ山は蒜山高原の中和村と八束村の境にあって、丁度下蒜山の東隣りの山である。先々週の火曜午後にトライしたのだが、そのときは雪が林道に所々に残っており1km手前から徒歩で登山口に向かっていると、山菜とりのご老人が雪の中で車を脱輪させて立ち往生している現場（峠）に出くわした。結局、この救助作業でこの日は終了して、いつもの「豆腐」を買って帰るという一日だった。</p>
<p>さて本日だが、２３度を越える快晴で雪もすっかり消えていた。峠に車を止めてさっそく登山開始、登りはいささか急でしばしば足がとまった(運動不足？）が、距離は短く約２５分程度で少々のやぶこぎの末、三角点に到着した。</p>
<p>この写真は北に開けた倉吉方面（日本海）を望む景色である。田村氏の説によればこの方角に<a href="http://homepage1.nifty.com/o-mino/page716.html">天孫降臨の高千穂</a>（鳥取県東伯郡北栄町岩坪付近）がある、地図でみると字名としてはのこっているが住所としてはない様子だ。現在の北栄町は旧北条町と旧大栄町の合併によるもので、どんどん地名が減っていくのがなんとも悲しい。１０分ほど頂上で過ごし、慎重に下山した、３０分で登山口に到着した。</p>
<p>時刻はもう５時になっていた、東集落から蒜山三座山麓のドライブウェイに入り心地よい風を楽しみながら走ってゆく。すると、いつもは何気なく通り過ぎていた石切場のような大きな穴が気になり入ってみた。これが蒜山の珪藻土の採掘場であった。</p>
<p>約100万年前頃、火山の活動により蒜山三座が誕生した。それまでの川の流れは西に方向を変え、上蒜山の西側より日本海側へ流れ込むようになった。更に約35万年前、大山の噴火によって西側がせき止められ、「蒜山原湖」が誕生したのだそうだ。<img src="http://j-art.podzone.net/~chikaserver/chikablog/resources/keisoudo_g_r.jpg" width="500" height="130" alt="昭和科学工業採掘場"id="f2" />
南を中国山地、北を蒜山三座に囲まれた蒜山原湖には珪藻（けいそう）が繁茂した。珪藻は珪酸質の殻を持つため、湖底に堆積していく。珪藻が生息していたのは５万年間と推定され、珪藻土の最も厚いところは約100ｍに達すると言われている。
その後も大山の噴火活動は続き、現在の真庭市蒜山地区西部あたりは噴出物で埋まっていき逆に湖の東部は旭川水系の浸食を受け、湖水は南へと流出し始めた。やがて湖は干上がって消滅したが、珪藻は化石となって残った。蒜山高原の誕生の歴史である。</p>
]]>
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</item><item>
<title>桃と桜</title>
<link>http://j-art.podzone.net/~chikaserver/chikablog/article.php?id=84</link>
<pubDate>Tue, 08 Apr 2008 20:33:10 +0900</pubDate>
<description>
桃と桜 2008-Apr.8


後楽園土手の桜も満開を過ぎ、岡山でつぎといえば桃か北の桜ということになる。今日は天気もよさそうなので桃見と桜見のダブルヘッダーを試みた。
岡山市下芳賀から新岡山CCに登る道沿いにこの桃源郷といってもよい桃...</description>
<content:encoded>
<![CDATA[<p>
<em>桃と桜 2008-Apr.8</em>
<img src="http://j-art.podzone.net/~chikaserver/chikablog/resources/haga_momo_r_1.jpg" width="150" height="200" alt="桃源郷" id="f2"/>
</p>
<p>後楽園土手の桜も満開を過ぎ、岡山でつぎといえば桃か北の桜ということになる。今日は天気もよさそうなので桃見と桜見のダブルヘッダーを試みた。</p>
<p>岡山市下芳賀から新岡山CCに登る道沿いにこの桃源郷といってもよい桃畑の山がある。数年前「タイムボカンの悪役三人組」の本物？が岡山を訪れられたのが丁度この時期でご案内すると至極感激されたことを思いだす。</p>
<p>桃の濃い色の花はそめいよしのの淡い（白い？）ピンクに比べて圧倒的な存在感である。今日も桃畑の農道を何台かの花見見物の人とすれ違ったあと、絶好のポイントに駐車して準備しておいたお弁当をぱくつく、年に一度の楽しみだ。</p>
<p>
<img src="http://j-art.podzone.net/~chikaserver/chikablog/resources/daigo_R_1.jpg" width="150" height="200" alt="醍醐桜" id="f1"/>
</p>
<p>さてつづいてはここから約1時間ちょっと、落合は別所の醍醐桜である。のどかな山里の原風景の中にあって、ただ1本だけ空に向かってそびえ立つ、県下一の巨木といわれ、日本名木百選にも選ばれた見事な桜だ。目通り7.1ｍ、根本周囲9.2ｍ、枝張り東西南北20ｍ、樹高18ｍ、種類はアズマヒガン（ヒガンザクラの一種）で、昭和47年12月岡山県の天然記念物に指定され、伝説によれば、元弘2年（1,332年）後醍醐天皇が隠岐配流の際、この桜を見て賞賛したといわれる。</p>
<p>毎年恒例の訪問だが今年は直前の開花情報をチェックせずにきたせいでまだ「咲き始め」である。地元のひとたちが用意してくれた産物をいくつか購入（だいたいが酒肴）し、うどんを一杯いただいて今年の見物は終了した。</p>
<p class="clearfloat"style="font-size:8pt;text-align:left">醍醐桜はアズマヒガン</p>
]]>
</content:encoded>
</item><item>
<title>吉備の中山を歩く</title>
<link>http://j-art.podzone.net/~chikaserver/chikablog/article.php?id=83</link>
<pubDate>Tue, 25 Mar 2008 23:20:25 +0900</pubDate>
<description>
吉備の中山を歩く　08 Mar.25


古今和歌集に「真金吹く 吉備の中山 帯にせる 細谷川のおとのさやけさ」と歌われる岡山市吉備津の中山を訪れた。現在、吉備津神社は本殿を改装中で少しうす暗いなか参拝を済ませると回廊を南に廻り遊歩道の入...</description>
<content:encoded>
<![CDATA[<p>
<em>吉備の中山を歩く　08 Mar.25</em>
<img src="http://j-art.podzone.net/~chikaserver/chikablog/resources/hosotanigawa_r.jpg" width="150" height="200" alt="hosotanigawa" id="f2" />
</p>
<p>古今和歌集に「真金吹く 吉備の中山 帯にせる 細谷川のおとのさやけさ」と歌われる岡山市吉備津の中山を訪れた。現在、吉備津神社は本殿を改装中で少しうす暗いなか参拝を済ませると回廊を南に廻り遊歩道の入り口にたった。ここ吉備津神社ではどうも東西南北の感覚がおかしくなってしまう。実際には本殿がほぼ北を向いているが、まずはこのことが大変めずらしい。ほかに北を向いている神社があったら是非紹介してもらいたいと思うくらいだ。ここから足守川をはさんだ西２kmにあの楯築弥生墳丘墓があり方位信仰の跡が残る遺跡であることを考えると、この吉備津神社の出自に特異な歴史があるのだと思う。</p>
<p>
<img src="http://j-art.podzone.net/~chikaserver/chikablog/resources/nakayama_t_r.jpg" width="120" height="220" alt="chausuyama"id="f1" />
</p>
<p>この山の最高峰は竜王山（ここも中国系？）で175mという低山であるがそれでも細谷川となずけられた小川がチョロチョロとながれている。遊歩道として整備された道をしばらくいくと残念ながらアスファルトの車道にでる、よい天気のせいかたくさんのウォーキングの人々と出会った。さて左側に<a href="http://www.city.okayama.okayama.jp/museum/kofun1/09.html">中山茶臼山古墳</a>への登り階段があらわれるのでさっそくゆくとよく整備されたその広場に到着する。ここは陵墓参考地に指定されており古墳内への立ち入りが禁止されているがその主は「吉備津彦命」とされている。</p>
<p>つぎは、ここからすぐの場所にある古代吉備文化財センターにたちより、本日の目的地でもある矢藤冶山古墳への道を訊ねることにした。<img src="http://j-art.podzone.net/~chikaserver/chikablog/resources/yatouji_t_r.jpg" width="150" height="200" alt="yatojiyama"id="f2" />ここには「上東遺跡の護岸跡」「吉備の陶棺」「吉備特殊器台」などの大物を見ることができる。さて教えてもらった道をゆき約２０分ほどで矢藤冶山古墳の頂上に到着した。実際にはセンターの事務の女性はこの古墳のことを知らなかったし、リンクページをさがしたがWEB上にこの古墳を説明するページはヒットしない、つまり思いのほか扱いがちいさいのだ。しかし墳長約３５mの前方後円墳で方格規炬鏡（TLV鏡）１、大型硬玉勾玉１、ガラス小玉50、終末期の特殊器台と特殊壷が多数発見され最古式のものとかんがえられるというのだからミッシングリングともいうべき非常に重要な遺跡であるに違いないのだ。奈良大和に特殊器台が移動する直前のものとすれば史上最古の前方後円墳である可能性もある。</p>
<p class="clearfloat"style="font-size:8pt;text-align:right">矢藤冶山古墳と説明板</p>
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</content:encoded>
</item><item>
<title>備前車塚古墳は竜の口の山の上</title>
<link>http://j-art.podzone.net/~chikaserver/chikablog/article.php?id=82</link>
<pubDate>Thu, 13 Mar 2008 08:32:05 +0900</pubDate>
<description>
備前車塚古墳は竜の口の山の上　08-Mar.11



備前車塚古墳は墳長48.3m、後方部長23mの前方後方墳で三角縁神獣鏡が１１面出土している重要な古墳である。岡山市内の高島や備前国府の跡（古代での存在は不明）の近くの四御神にある団地...</description>
<content:encoded>
<![CDATA[<p>
<em>備前車塚古墳は竜の口の山の上　08-Mar.11</em>
<img src="http://j-art.podzone.net/~chikaserver/chikablog/resources/kurumazuka-004_r.jpg" width="150" height="200" alt="備前車塚古墳" id="f2"/>
<a href="http://www.city.okayama.okayama.jp/museum/kofun1/05.html">
</p>
<p>備前車塚古墳</a>は墳長48.3m、後方部長23mの前方後方墳で三角縁神獣鏡が１１面出土している重要な古墳である。岡山市内の高島や備前国府の跡（古代での存在は不明）の近くの四御神にある団地の奥にその登山口はある。この山は竜の口山と呼ばれる２５７Mの山でその中段１００M位のところで南面の景色のよかったであろう（いまは木がじゃま）場所に造られている。</p>
<p>竜の口山は「竜の口グリーンシャワー公園」として整備されていて快適な山歩きコースになっており、今日は車塚を経由して山頂を目指すことにした。30〜40分で山頂展望台に到着、ここからの景色がよくてすぐ南に操山さらにその向こうの貝殻山がはっきりとみえる。</p>
<p>
<img src="http://j-art.podzone.net/~chikaserver/chikablog/resources/kurumazuka-011_r.jpg" width="235" height="150" alt="shinogoze_course"id="f1" />
</p>
<p>下りは四御神コースをおりたが、このコースは一瞬県北の深い山を歩いていると錯覚するような景色がつづく。途中、古墳群もあり寄り道しながらゆっくりと歩くと出発地の車塚公園に１時間で帰着した。</p>
<p>備前車塚古墳の神獣鏡の出土、特殊器台埴輪がなくその山の名が「竜の口」という点から極めて中国色の強い性格のものだなという感想である。</p>
<p class="clearfloat"style="font-size:8pt;text-align:left">竜の口山四御神コース</p>
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<title>考古学研究会岡山３月例会に潜入！？</title>
<link>http://j-art.podzone.net/~chikaserver/chikablog/article.php?id=81</link>
<pubDate>Sat, 08 Mar 2008 22:24:07 +0900</pubDate>
<description>
考古学研究会岡山３月例会 08-Mar.8


開催日：2008年3月8日（土）　14：00〜16：00
会場：岡山大学大学院自然科学研究科棟２階大会議室
［発表者・内容］
野島　永（広島大学大学院文学研究化）　「弥生時代初期鉄器の実像を...</description>
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<![CDATA[<p>
<em>考古学研究会岡山３月例会 08-Mar.8</em>
<img src="http://j-art.podzone.net/~chikaserver/chikablog/resources/reikai_p_r.jpg" width="400" height="150" alt="reikai"id="f1" />
</p>
<p style="color:blue">開催日：2008年3月8日（土）　14：00〜16：00<br />
会場：岡山大学大学院自然科学研究科棟２階大会議室<br />
［発表者・内容］<br />
野島　永（広島大学大学院文学研究化）　「弥生時代初期鉄器の実像をめぐって」<br />
　弥生時代前期から中期に属する初期鉄器資料の再検討を行い、鉄器出現時期とその流通について考察する。</p>
<p style="color:blue">富岡直人・畑山智史（岡山理科大学）<br />
「貝殻成長線分析からみた日本各地の貝塚の特徴」<br />
貝塚出土貝類を顕微鏡観察すると、成長速度や死亡季節が推定される。これにより貝塚の機能や貝採集の実態、環境の変化を追求することが可能となる。この研究の到達点と展望を報告。</p>
<p>というような会が開催されるということで、初めて参加してみた。この会は毎月？開催されているらしい、参加者は発表者の先生と同業の研究者らしい人たちが県外からも、（質問されるとき所属と名前をいわれるのでわかる）あと学生やら岡大研究室の関係者の方々（かな？）、あとなんといっても勉強家のご年配の諸先輩がた総勢で60人ほどが会場を埋めていた。（写真は前の方しか写ってないので少なくみえる！）</p>
<p>「考古学研究会岡山」とは不思議な名前だと思っていたが、それがすごいことがわかった！（一般に固有名詞の<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%80%83%E5%8F%A4%E5%AD%A6%E7%A0%94%E7%A9%B6%E4%BC%9A">「考古学研究会（こうこがくけんきゅうかい）」</a>は、1953年に岡山県飯岡村（現・美咲町）で行われた月の輪古墳発掘運動を原点として、1954年、岡山大学考古学研究室に設立された「考古学研究会」を指す。）のだそうだ。つまり私と同じ年齢を経た日本最大の研究会で一般に公開されているのが特長の権威と歴史を誇る会が岡山にあるということだ。</p>
<p>さて、発表のほうだが野島先生のお話は「鉄器出現時期とその流通」ということで興味深くうかがったが、私の勉強不足と注意不足であろうか「鋳造か鍛造か？」ばかりで流通についてはよくわからなかった。もらった資料を見直すとつまり弥生前期末葉〜中期中葉で北九州内陸部に集中しておりその他山口や畿内でも多く発見されるが、岡山にはほとんどないということがわかる。この時期は吉備に水田は発達していたと思うが鉄農機具がないというのは何を意味するのか？そこの仮説を聞きたかったところだが、考古学ではそこまで踏み込まないのだろうか？そこが不思議！</p>
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